復職し、うつ病が全快した大手学校法人職員Eさん(女性・43歳)からのメッセージ

(1) 弁護団に依頼するまでの経緯
全国展開している、教職員4000人規模の大手学校法人に勤務して20年。民間企業勤務の夫と、12歳、9歳の娘がいる。「均等法第一期生:総合職」として採用になる。一貫して学校法人本部で経営側に近い立場での仕事をしてきた。
 4年前の異動で、当時認可されたばかりの法科大学院勤務となり、未整備な学校に抗議する社会人学生への対応、上長のパワハラ、大学院教員のセクハラ、加重労働、学生の抗議が暴力的になり、身の危険を感じる被害に遭いそうになったことなどが2ヵ月のうちに重なった。ある日突然「バッタン」と気を失ってしまい、しばらく口がきけなくなって、そのまま休職した。重症の「抑うつ・適応障害」と診断され、半年休養の上、1年後、高校以下の付属学校を管轄する部署で復職した。しかし、業務は主として約8ヵ月にわたる地下倉庫整理であった。翌年学校法人の都合により関連会社に出向。出向先の事務所はワンルームマンションで、男女一緒のトイレとロッカー、一日中の喫煙に悩まされ、また、業務は20年以上昔の機械を使った伝票処理と段ボールや廃物処理などの肉体労働が主となった。産廃物の処理や、一日中煙るタバコにアレルギー症状がでる。原因不明の全身発疹がでて、外出できなくなった。出勤不可能になり、うつ病が再発した。病状が軽快し、復帰しようとしていた矢先、出向元の学校法人より呼び出しがあり、「出向先の子会社の就業規則により2ヵ月後には休職期間満了で自動退職になる」と言われた。「相手にも迷惑かけるから、早く円満退職を決心した方が 経歴に傷が付かない。そもそも『休職制度』は復職を前提としているのだが、現実問題としてまた再発し、半年以上労務提供が出来ていない。先方は契約違反であなたにコミュニケーション能力なしと大変不快に感じている。お子さんもいるし、療養に専念してはどうか」と言われた。

(2) 弁護団サポートと復職
弁護団宛に相談メールが届く。休職期間が2ヵ月しか残っていないとのことで、メール受信後直ちにEさんに連絡。診断書、就業規則等必要書類の送付を受け、4日後にEさんと面談。面談の結果、休職期間については出向先ではなく学校法人の就業規則の適用があり、1年以上残されていることが明らかとなる。学校法人理事長宛にうつ病は業務に起因するものであること、休職期間は1年以上残されていることを内容証明郵便で通知、あわせて今後のことについて面談を申し入れる。数日後秘書課を通じて人事課長と面談。うつ病が学校法人側の業務に起因するものであり、労働基準法19条により解雇や退職扱いはできないことを強調。人事課長は一転して4月1日からのEさんの復職に向けての話し合いに態度を変え、Eさんは復職した。復職後1年でうつ病は全快し、主治医から抗うつ剤の投与はもう必要がないと告げられた。全快したEさんからのメッセージはうつ病労働者の苦境を理解する上で重要と思われるので、次に紹介する。

(3) うつ病が全快したEさんからのメッセージ
[1] 「再発の怖さとの闘い」
  「昨年4月1日に復職いたしました。復職はじめは通勤電車のすさまじさに圧倒され、『できるだけ人にぶつかられたり、怪我をさせられないようにしよう』と、以前の私では考えられないほど『省エネモード』で対処するように心がけています。
『ふたたび同じ状態に戻る』ということは、いつも頭や心のどこかにひっかかっていて、すごく恐ろしい気持ちです。病気になった人は多かれ少なかれ、この『再発の怖さとの闘い』に自分を対峙させなければなりません。当事者でなければとても共感し得ない感情と思います。」
弁護士サポートをする中で感じたのは、うつ病を経験した労働者に共通するのがこの再発への恐怖感である。パワハラを受けたときの光景が蘇って職場の入り口で立ちすくむ労働者は少なくない。
[2] 「駆け込み寺」としての役割を果たす産業医
  「この時いろいろとお世話になったのが、主治医のほか、職場の産業医でした。『駆け込み寺』的な場所として産業医が職場にいることは、精神的にありがたかったです。産業医はメンタル専門の人がベターですが、やはりドクターの人柄に拠るところが大きいです。のんびりした性格のドクターで、中立的な立場をとりつつも、病状の再発については注意を喚起してくれるような人であれば理想的です。」
  Eさんの所属する学校法人の産業医は女性で、Eさんの立場を理解し、同情さえしてくれていた。Eさんは産業医に恵まれた。従来管理者サイドに立つ産業医が多かったが、産業医の目線は少しずつうつ病労働者のサイドに移ってきたと感じるが、その中でもEさんの産業医は特別優れている。
[3] 何で自分はこんなにヘンになってしまったのか」と自信喪失。「一人・孤独」
  「復職までの道のりは、大変に長かったです。最終的には弁護士さんにお願いをして、解決をしていただきましたが、弁護士さんにお願いするきっかけも、都の労働相談窓口でのアドバイスによるもので、そこにたどり着くまではたった一人でじたばたとしていました。
どの人も同じと思いますが、『好きで病気になった』という人は一人も居るはずがなく、それまでに長い勤務実績があれば『辞めてください』といわれることなど考えてもいないはずです。
病気になると、途端に『一人・孤独』」な立場に追いやられます。体力的にも精神的にも外出をすることが難しくなり、極端に人を信用できなくなり、電車に乗るのも難しい状態なのと、『何で自分はこんなにヘン(思考がまとまらないので)になってしまったのか』という思いで、自分にも自信がなくなると『相談しても相手にされないのでは・・・』とか『相談内容を理解してもらえるのか』という不安ばかりが先に立ちます。」
Eさんが弁護団に相談するにあたり、「相手にされないのでは・・・」という不安をいだいていたことなど私たちは思いもよらなかった。
[4] 怒りをバネに
「それでも復職できたのは、私の場合は一番最初に倒れた原因がセクシャル/パワー・ハラスメントだったことでその間、組織は聞く姿勢を示さなかったこと、一度目の復職後の仕事は地下倉庫で約8ヶ月も廃棄物の分別と処理だったこと、それでも休まずに頑張って勤め上げたのに、『余分人員』として出向させられたこと・・・とても書ききれませんが、これら諸々への『反発・悔しさ・怒り』の強さです。
この『怒り』を私は『自分の存在意義への否定』と受取り、それをバネにしました。平たく言えば『これ以上、泣き寝入りしない』ということです。『怒り』で行動するには大変なエネルギーが要りますが、それでもアクションを起こせたのは今でも良かったと思います。
 また、思い切って行動にしたことで、自分の話を聞いてくださり、さらに援助してくれる人たちがいることもわかり、その後の人生への支えも得たのだ、と今では考えています。」
 弁護士サポートを選択する人のエネルギーの源泉はEさんのような怒り、不正義を許さないという正義感・使命感にあると思われる。
[5] 主治医「なんだ、もう治っているね!」
「『病気の全快』の診断は突然のことでした。春先にひいた風邪をこじらせ、強い抗生物質をとらねばならず、『今飲んでいる薬はストップしてください』と処方時に言われたので、そのとき服用していた抑うつ剤(最低量ではありました)をやめました。1週間ほどしてまた服用を再開しましたが、次の主治医との面談時にこの話しをすると、『なんだ、もう、治ってるね!』と言われたのでした。抑うつ剤は急にやめると副作用が出ることが多いというのですが、私はそれもなく、いつもと同じでしたので、『治りました』と診断された次第です。
 初めて通院してから丸4年経っての回復宣言でしたが、長く薬を飲んでいたので、止めてから1ヵ月くらいは不安でした。いつの間にか薬を『すがり杖』のようにしていたのですね。 」
 Eさんは主治医にも恵まれている。開業医の中には「再発予防のため」という名目で患者への投薬を続け、患者を囲い続ける医師も少なくない。
[6] 「女性」「子持ち」で何重にもバッシング 
 「最後になりますが、私は2児のいる『ワーキング・マザー』でもあります。倒れたときは子供たちが幼少で、ヒステリーになったり、沈み込んだり、寝たきりになった時の影響は、やはり未だに残っています。
 ワーキング・マザーとして復職を果たした人の『ロールモデル』が欲しく、主治医にも産業医にも『そういう例を知らないか』と何度も聞いたのですが、数千人の患者を診ているドクターであっても『今までにフルタイムで復職を果たした女性を、まだ見たことがない』ということでした。
メンタルな病ということでいろいろなバッシングに遭いますが、それプラス『女性』『子持ち』ということで、そのバッシングがさらに増えること等、女性ならではの問題もきっと、声が上がらないまま潜在していることと考えます。」

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